bespoke classic 六義RIKUGHI
Art&ClassiC
The collection of
「テレンス ザ・テンペスト モンタギュー伯爵」
★
★★★
SPECIAL VERSION
「名人の手」
六義小石丸 ポルカドット
最高の蒼
��
★
★そもそも「名人」と出会ったきっかけは小石丸がいよいよ織れなくなるだろうと告げられたことを発端にしている。
それを聞いて慌てた私はできうるかぎりの布を今のうちに織り残しておこうとしている、今回はそのひとつ「最高の蒼」を「名人」に縫ってもらうことにした。この「青」は私なりの「ウルトラマリン」だ。
★「手縫いのタイ」というのは細かく緻密に縫えば良いというものではない、かえって「間」をあけてすっと纏っていくからこそふんわりとした優美さがでる。この「間」というのが肝心で、それがからだに沁み込むまでには随分と「時間」がかかるそうだ。
「名人」は70歳を過ぎたいま「やっとわかり始めた」という。
「六義小石丸」こそ「名人」の
「ふんわりとした間」を活かす素材ではないだろうか。
まるで「仙台平(袴地)」のように高密度に織られた「40年前の繻子」は次元を越えた体験だったがこの優美なすべらかさ、しなやかさはやはり「小石丸」ならではの魅力である。
小石丸の糸は「綿毛」のように驚くほど細い。手織りの織機に掛けても安定しないので、組織に織り込めえない「細い綿毛」が霞のよう散乱するのだ。一反織るのに大変な手間と辛抱がいる。丹後でも女性の織り手が涙を「私の手には負えません」と涙ながらに織元に訴えたという。
だから「小石丸」の織り手は百戦練磨の男たちが多い。
そのことも「織れなくなるかもしれない」という重い言葉に繋がっているのかもしれない。
★「最高の蒼」は30年以上つきあっているフィレンツエの生地商のおじいさん(おじいさんにしては元気だが)からイタリアにはカプリの「青い洞窟」よりも美しい「青い洞窟」があると教えられ実際にそこに出かけて行ったことから生まれた。その生地商は19世紀に創業しいまや英国のどこを探しても見つからない貴重なヴィンテージ生地を「完璧な状態」で保管している。
★
何故、その話がでたかというと長くなる。
先ずは私の「イタリア生地嫌い」から話をはじめなければいけない。
それまで私の知っている「イタリア生地」といえば打ち込みも甘く、糸づくりも中途半端でそれを整理加工で「ペイント」してまで高級にみせようという愚かなものばかりで、「イタリア製の高級生地」といえば高速織機で織ったペラペラの「糸の細さのみ」を「売り」にするものだった、そのくせ平気で生地端に★を5つもいれたがる。
とてもクラブメンバーに勧めらたものではない、、、、
本当にそれまで感動するイタリアの生地に出会ったことがなかったから、単なる思い込みではなく確信犯として意図的に「イタリア生地」をコレクションからはずしてきた。
だから「おじいさん」との長いつきあいの中でも一度として「イタリアの生地」を手にしたことがない。
それが或る日、ふいに「前から不思議に思っていたがお前はなぜイタリアに来てイタリアで織られた素晴らしいヴィンテージ生地を買わないんだ」と七不思議に巡りあったホメロスの船乗りのような口調で尋ねてきた。
★おいおい、「プロ」が何をいってるんだ。たしかにアンタはイタリア人だが英国の1930年代のホワイトドネガルについて、スコットランドのオリジナルソラーロや、不世出の「スパンカシミア」ベルキャッシュについて語り合ったじゃないか、お前さんだって生地の良しあしは分かっているはずだ、、、それなのに、、、「ブルータス、お前もかよ」、、、
ところがおじさんは「たしかに現在のイタリア生地には見るものはないよ、それはたしかだ、俺たちみたいなマニアからすれば○○(ちょっと書けない下品な表現です)以下だ」
「しかし、1960年代から1970年代にかけてのビエラ地方で織られた生地は素晴らしんだ。一度みるだけみてくれ。」
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そう云って弟子に何やら意味不明の「番号」を告げると、弟子は殺風景な倉庫を駆け巡って蝋紙にしっかりと包まれた布地を片っ端から運んできた。それはなんと理屈ぬきに素晴らしかった。驚いた。
★
1960年代から1970年代にかけて織られたエルメネジド・ゼニア、そしてマリオ・ゼニア(ゼニアは数家あった)、チェルッテイもあった。その他はじめて耳にするミルの布もあった。
どれも糸がよく、ギュっと絞るようにつかんでも一筋の皺も残さずもとに戻る。
とくに印象に残ったのがゼニアの「ジャカード生地」である。それは「40年前の繻子」と同じく、(すでになくなった)古い織機で驚くほどの手間をかけて織られたものだ。聞くまでもなくもはや「再現不可能」である。
実に緻密なジャカード組織で、しかも生地をくまなく調べてみたが一片の織傷もない見事に「完璧な織り」であった。こんな複雑で繊細な仕事を「イタリア人」(ごめんなさい、偏見でした)がこなしていたとは夢にも思わなかった。
おじさんは「ビエラ」ではなく「ビエッラ」だと私に発音しなおさせた。「ビエッラ」はアルプスの麓にある。イタリアでは13世紀から続く織物の中心地である。
毛織物では刈り上げた羊の毛を少なくとも2〜3年は寝かして油を抜かなければいけない。糸に紡いで染色しても寝かせて色をおちつかせる必要がある。
つまり、糸を保存し、寝かせる経済的な余裕が必要なのだ。だから織物業は昔から貴族や修道院などが中心となってきた。