bespoke classic 六義RIKUGHI
Art&ClassiC
「白鞣し 正倉院雪駄」
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「革」には妙に魅力がある。
「革」の魅力は「刺青」を恐れながら魅かれていくようなところにある。これは事実「生き物」だったのだ。
カシミアやツイードの触感とも異なるもっと濃密で「秘密」めいたものを感じるのはそのせいなのか。
布も4,5百年前の古代裂れや或いは洗いつくした藍には、時の経過が劣化させるのではなくそのものを美しく昇華させているものを見つけるが、
それなりに褪せたり壊れたものに魅力を見出す人間の美意識は単にヒネクレモノなのかやはりそこには確かな「美」が存在するのか、いつも私は翻弄される、、
「美」はげに複雑である。
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正倉院に残る我が国の「革の原型」が「白鞣し」である。 これはもはや日本にしか存在しない「革」である。
赤穂の塩と菜種油だけで人の手で揉まれ、鞣される。それ以外は夢先川の水と気まぐれな天日と風に泣かされながら自然の「力」に委ねる。
革を白くするホルマリンも毛を抜く石灰も一切使わない。
(類似品に「白革なめし」というのがあるらしいがソレは革を白くするためホルマリンをつかった似て非なるものである。)
「革をつくり」始めることを決心しチームを結成したのは近頃の「輸入」の革にあまりに落胆したからだが、
そこで思い知ったのは「いかに我々は革について無知であった」かである。
我々は革の真実についてひとつも知らない。
いい加減な雑誌や店頭の情報にただ惑わされ、「知ったかぶり」をしていただけだった。嗚呼、恥ずかしい。
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深い(深すぎる)知識と情熱と人柄の良いタナーさんに恵まれ「本質のある革をつくる」チームが「今」つくれたのは「時代のタイミング」として幸いだった。
早すぎたら理解されなかっただろうし、
メンバーの年齢をかんがえれば知識、経験、体力と三拍子そろった今がベストなタイミングに出会えた。このチームは世界でも最強だと思う。
ファーストリリースの「白鞣し」の原皮となったのは6年ねかしておいた最上の「赤牛」である。
羊毛や草木染の糸とおなじく革もすぐに鞣してはいけない。「生っぽ」すぎるのだ。ここでも「自然」の力が必要となってくる。
選り抜いた良い革を熟成させてより良い革にするタナーの「余裕」と「志」が肝要なのだ。
多分、彼らが我儘な私を受け入れてくれたのは「それを見抜いてくれる」革職人や私のような「オーナー クラフトマン(数寄者)」が欠けていたのだと思う。「問屋」にはうんざりしていたのだ。
タナーたちは戦前に出来上がった「問屋」制度に不満を抱えていた。
事実、この「白鞣し」の職人さんは断固として「問屋」を相手にしない。
そういう風に今回、歯車がカチッとあったから次々に「傑作」があがってくる。
「やる気」がはいった日本のタナーの手仕事は凄い。「白鞣し」の次にご紹介する「黒桟革」のあとにも、「1000頭に10頭のセーム革」、独自の表情をした「モロッコ革」などなど、驚くものが次々とできあがりつつある。
いったい今までの「革」はなんだったんだろう。
■枚数をこなす仕事ではヨーロッパのタナーにかなわないが、「最高の一枚」を鞣すならば一人ですべてをこなす小規模の日本のタナーが強い。
千年以上前の技法「白鞣し」を復原した職人さんはそう思ったそうだ。
技術を知る老職人がひとりだけ残っていたそうだが、その職人さんも老いとの戦いの中で引退せざるを得ず。結局、復原するのに5年の歳月がかかった。
「白鞣し」は「クローム」でも「タンニン」でもない、ただ天然の菜種油と塩で揉む手法である。ここには「化学」的なるものは一切存在しない。
正倉院の革はすべてこの「白鞣し」の技法で鞣されている。
染料も一切使っていないから、これが本来の牛革の色なのである。
そして、この「六義白鞣し」は「鞣しすぎていない」。
「チーム」を「結成」したとき、メンバーであるふたりのタナー両人が口をそろえて主張したのが「鞣しすぎない」ということだった。
「みんなダマされてるんですよ、問屋や店頭で見ると引っ張ってアイロンをあてた『鞣しすぎた』革のほうが柔らかく上質そうに見えますけれど、これはもう『腰』が抜けてます。
実際に使ってみるとさらに『腰が抜けて』クタクタになってしまいます。」
「それは『エイジング』と呼べるものじゃないですよね、もう革としての『寿命』が残ってないんですよ。」
「靴を釣り込むというのも『鞣し」のひとつなんですよ、毎日履いて、磨くのも『鞣し』です。だから生命力に溢れた状態で出してやりたい。『鞣しすぎない』、靴を釣り込んで、鞄を仕上げて『良い腰』が残る。恐ろしいことにそういう革がいま皆無なんですよ。
問屋も店も店頭での『見てくれ(外見)』にしか興味がないから、、、」
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こうして「雪駄」に仕上げてみて、やっとその「意味」がわかった。
釣り込む前の革は荒々しかったが、雪駄に釣り込むと表情が変わった。これには驚いた。
「白鷺革」とかつてよばれた優美このうえない品格がでた。ただ真っ白いのではないのだな、天平の古代色そのものに薄く斑がそこここに散らばりみえる。それが日本のかつて存在した貴族時代を夢見させる。
使い込めば使うほど頑丈に、品のある肌色になっていく。
きもの姿がこれひとつで優美に転換する。
、、、
大切につかってください。